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新宮神社(松ヶ崎林山)

新宮神社祭神:熊野速玉神(くまのはやたまのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、猿田彦神(さるたひこのみこと)

村社で、松ヶ崎の氏神さんで、もとは「大比叡大明神」と称していたが、徳治元年(1306年)に一村あげて日蓮宗に改宗した時に法華経と日像上人直筆の「曼荼羅」を合祀し、その後、妙泉寺の鎮守社として妙泉寺の僧がお祭りをしました。明治維新の廃仏毀釈神仏分離で妙泉寺から離れて「白髭神社」と号し、明治20年(1887年)に更に「新宮神社」と改称し現在に至っています。

10月23日は例大祭、12月8日はお火焚き祭りが行われます。

 

白雲稲荷神社(松ヶ崎東山)

白雲稲荷神社

祭神:稲荷尊、鬼子母神、牛の宮(昔、境内東南に鎮座)

松ヶ崎の人は、新宮神社を「西の宮さん」、白雲稲荷神社を「東の宮さん」といっています。神社には神主がいないので、東の村人でお守りをしてきました。

岩上神社(松ヶ崎林山)

岩上神社

「日本歴史地名体系・京都市の地名」に「社殿を設けず、天然岩を神石とするところから、その名がつけられた。この地域には露出した岩の山肌が多く、松樹茂るところであり、古くから、清浄の地として知られるが、当社も林山を背景として、古代祭祀の磐座信仰の地であったと推定される。」とあります。。

口碑には「昔兵庫の海中に光物あり。某高僧其の光を探り、此の石を得、岩神大明神と号し、此れに祀りしに始まれり」とあります。かっては、漁師、牛馬の神として信仰が篤く、参詣の人が多かったそうです。。

12月5日はお火焚祭りが行われます。

七面宮(松ヶ崎林山)

七面宮

松ヶ崎小学校(旧妙泉寺跡地)のすぐ裏手の山にあり、地元では「しちめんさん」と言って親しまれております。

天正4年(1576年)日諦僧正が勧請した七面大天女がお祀りしてあります。お祭り以外の日は、本尊は近くの涌泉寺に安置されてます。境内には日輪の滝、月輪の滝があって、かっては眼病には霊験があるといわれていましたが近年は水が枯れてしまいました。

10月19日は「しちめんさんのおんまつり」、12月19日はお火焚祭りが行われます。

涌泉寺(松ヶ崎堀町)

涌泉寺
日蓮宗の寺。大正7年(1918年)、妙泉寺は本涌寺と官許をもって合併し涌泉寺と改名し、空寺となっていた本涌寺の地に移り、妙法送り火、題目踊等で知られている由緒ある妙泉寺の歴史は涌泉寺に受け継がれることになりました。妙泉寺の跡地は松ヶ崎小学校の敷地として生まれ変わりました。妙泉寺については、「松ヶ崎の歴史」のサイトを参照。

本涌寺は松ヶ崎檀林といわれ、天正2年(1574年)日生は法華の学問所をこの松ヶ崎に設立、これが日蓮宗の学林の始まりで、ここへ全国各地から学徒が多く集まってきたそうです。承応3年(1654年)の春に女院御所造営の残木を拝領して講堂等を改築しました。今の涌泉寺の本堂がそれであります。明治9年檀林は廃止されました。その後明治29年に宗立第七教区小檀林が此処に設置されたが、明治37年に廃止され空寺となっていました。大正5年から6年にかけて小学校の教室として使用されましたが妙泉寺との合併により本涌寺の称号はなくなりました。

涌泉寺の山門前の山側に松ヶ崎檀林の開祖である教蔵院日生生(しょう)師(し)廟(びょう)があります、地元では「教蔵院さん」と呼んでいます。

8月15・16日は涌泉寺の境内で題目踊、さし踊が行われます。

妙円寺・大黒天(松ヶ崎東町)

妙円寺・大黒天

日蓮宗の寺。元和2年(1616年)立本寺第18代の師、本涌寺能化本覚院日英の隠居場所で、松ヶ崎の東部の人々が檀徒となり、妙円寺と号した。

境内仏堂として大黒堂があって、本尊は勇猛庵主日量の遺仏で伝教大師の作と言われています。松ヶ崎大黒天として名高く、信徒が多く、甲子の日には遠くからもお詣りに来ています。他に境外仏堂として鬼子母神があります。(本尊は十羅刹女)

昭和44年、不慮の火災により本堂、庫裏、大黒堂等が消失するも、大黒堂の本尊、大黒天は奇跡的に消失をまぬがれました。昭和47年に信徒の浄財で再建され、今の大黒堂が落慶しました。

松ヶ崎大黒縁起には「火中出現火伏守護の大黒さま」として崇拝されているとあります。